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【龍が如く0】最終章その1・桐生さん編 [龍が如く0]

体験会が始まりましたね!!
先週末の完成披露会や物販付きの体験会などすごくうらやましい!!
他の体験会でも物販やらないかなあ。通販でいいじゃんね?日めくりと東城会ビンズがほしいです。
地元開催の体験会に入ってくるので、またその時にはつらつら書くと思います。




さていよいよ最終章。とりあえずクリアまでしてみて桐生さんのお話です。
久瀬の兄貴はもう一回あると思いました。いや、あの人は生きてる限りくるんじゃねぇか、そんな気がするよね。
桐生さんはこの人からしぶとさを学んだよね、うん。あと、何度でも挑んでくるうるさいやつの対処法というか慣れ?を習得したような気がします。
なんていうか、ああ言う人の相手するの桐生さんってこれからもずっと続くじゃない?真島の兄いにしろ荒木にしろ、それこそ龍司とだって何回やったかだし。
そう言う相手を冷静に対処する方法を久瀬の兄貴で学んだのかなーって。
ただのチンピラだった桐生さんが、そういう風に「敵として執着し続けられる」なんてこれが最初だったんじゃないかな?
そりゃあの風貌だから昔からからまれることは多かったと思う。でも桐生さんの事だから向かってくる敵を返り討ちにして、相手が「こいつやベぇ・・・」ってなるまでがお決まりじゃん?普通の人はここまできたら何度も向かってこようとは思わないよね。
なのに、久瀬の兄貴は向かってきた。まあ兄貴の場合は自分の面子とかプライドとかをズタズタにされちゃったわけだし?あいつは俺の手で殺さないと気が済まないって思ってたと思う。2回目くらいまでは。
なんかさー、3回目辺りから久瀬の兄貴楽しんでない?桐生さんとガチの殴り合いをする事を。
昔の阿波野だったら俺も混ぜろ!って言いたくなるような、ガチの殴り合い。渋澤は意味がないって思うような、勝ったからって何かを得るわけでもない奴。
だって、世間的にはもう勝敗ついてるじゃん?初戦で桐生さんが久瀬の兄貴に勝ったところで、久瀬が指を詰めた時点で世間的には勝者と敗者は分かれてるんだよ。その後久瀬の兄貴が勝ったとしても「リベンジ成功おめでとう」であって、初戦がチャラになるわけじゃないのよね。
それなのに向かってくる久瀬とそれを駒に使った渋澤。
多分これからの世の中渡っていくのは渋澤や嶋野みたいなのだと思う。頭で稼ぐやつ。
阿波野とか久瀬とかはこの時代はいいけど、この先どんどん厳しくなる。堂島組長のやり方も時代遅れになっていくしね。
だから渋澤に言える事は「欲をかきすぎた」ことと「桐生さんを敵に回した」事だと思う。
渋澤の言いたいこともわかるんだ。結局誰かの下にいるときは、上にいる奴の食い物にされる場合がある。
よくあるじゃん?表社会でもさ。普通に会社に勤めて自分が頑張って仕事をしたのに、上司の手柄にされちゃったりとか、手伝ったのにプロジェクトチームに名前がないから自分の箔にはならなかったとか。
のし上がりたいけど超絶有能な人間が上にいて、厄介なことにこいつがてっぺんを目指さないからそいつを追い抜いててっぺん近くまでいけないとか。
どうしても「風間新太郎」がいる限りそれ以上にはいけない。
これで風間のおやっさんが上を目指せばいいよ?おやっさんが登った分だけ自分も登ればいいんだし。
でもおやっさんは自分のすぐ上にいてそっから動かない!どうする!動かすしかねぇだろう!だよね。
人に利用されてのし上がれなかった親父を見て育ったから向上心強いのはわかる。その為にどんな事でもしたって言うのもわかる。
ってか、極道社会に夢を持って入ってくる人多いねー。何がいいんだろうねー。渋澤も表社会ではできない事を裏社会でやろうとこの世界に入った。龍3の峯だって、極道社会に夢を見て入ってきた。
男たちがより男らしく生きる世界、うわべだけじゃない、己の力で這いあがれる世界とでも思ってるのかしら。
けど、這い上がるにも才能ってあると思うし、這い上がるだけの評価は自分でつけるものじゃない。
話は代わるけど、ドラクエとかRPGにおける「職業:勇者」って言うのはどうよ?な所があるよね。何かをなしとげて、その偉業をたたえて「こいつは勇気がある。勇者だ!!」ってなって、初めて「勇者」になれると思うの。自称じゃなくて他称である必要があると思うんだ。だから転職して勇者になる(条件厳しくても)はどうかと思う。
閑話休題。勇者は称号だと思う。職業じゃない。
「伝説の極道」って言う称号も渋澤の言う「華がある」て言うのもそういうので、自分から名乗るもんじゃないと思う。でも、意図的に呼ばせられるようにはできる。それが「箔付け」だよね。
ある程度力を持った人間には「華」ってのは必要だろうなとは思う。漠然と「ああ、あの人」って言う認識じゃなくて、この世界であの人といえば!みたいなのがほしいんだろうね。
渋澤は「伝説の極道」になりたかったんだと思うよ。
その為の箔付けとして「風間をつぶした」って言うのはいい題材だって思う。目の上のタンコブがなくなるうえに、あの風間を!みたいなネームバリューが出る。
あの世界のし上がるならそういうのって必要じゃん?これから先龍如の世界ではいろんな人がのし上がってくのに上を失脚させるってのはよくあるパターンじゃん。
それがいいのか悪いのかは置いといて。この場合悪いけど。
「他人の血で看板を描くな」って言う桐生さんのセリフは、「看板を描く」ことを止めてないんだよね。ただ、やるなら人を蹴落とすんじゃなくて自分が上がれって話だ。踏み台にするな、と。

それにしても、この作品は寄ってたかって見事に「堂島の龍」を育て上げた感があるよね。
一見して桐生さんは成長がわかりづらいんだ。うだつの上がらないチンピラの桐生さんから、どうして「堂島の龍」になったかが。
それは、桐生さんの意思がぶれてないからなんだよね。意思がぶれてないから、桐生さんの成長がわかりづらい。

・自分の身の潔白を晴らす
・風間のおやっさんの力になりたい(枷になりたくない)
・自分の周りにいる人間を危険にさらしたくない

往々にして行動理念はこれなんだ。そこに立華不動産や錦がからんで、桐生さんの目的のための手段が増える(立華の所で働いてカラの一坪の所有者を探す、マコトを救出するなど)。
桐生さん個人の思惑は、いっそ自分の事はどうなってもいいから、風間のおやっさんの足を引っ張らないようにしたいっていう程度だったはず。
それが真正面から自分のプライドの為だけに追いかけてぶつかってくる久瀬や、先回りして小賢しく生きようとする阿波野、自分が上に立つためにすべてを排除していこうとする渋澤、敵である彼らの行動にこの社会で生きていく方法というか意識を学んだ気がするし、尾田のような腹に明かせない闇を抱えながら惚れた相手の為に命をかける胆の強さや、立華の信頼と友情と信念の強さを学んだ気がする。
信頼とか友情とかは錦の領分だろう?って思うかもしれないけど、桐生さんにとって錦は「いて当たり前」なんだよね。そりゃあこの事態になったら錦には自分についてきてわざわざ危険に身をさらしてほしくなかっただろうけど、それでも「いて当たり前」なのよ。
でも立華は違う。いきなりあらわれて庇護してくれて、仕事を回してくれるわ助けてくれるわ友達だって言ってくれるわ、何より風間のおやっさんに対していいイメージを持ってくれてるわで新鮮だったんじゃないかな?
だって、風間組はともかく堂島組の中では反風間って多かったと思うし。堂島組長本人も多少の煩わしさがあったんじゃないかってくらい。
そりゃあ桐生さんの隣には錦がいるから、親父かっけー!は錦と共有できる。でも、一見縁もゆかりもない立華が風間のおやっさんの事を好意的に見てくれてるってのは彼を信用するに足ると思っただろうし、自分に対しても真摯に対応してくれる立華に好感をもっただろうし、そんな立華が己の義を通して逝ったのは桐生さんにとっては衝撃だったと思う。
いままではさ、良くも悪くも風間のおやっさんという後ろ盾の元、極道社会の底辺で自分一人しのいでいけばよかったじゃん?底辺には底辺の暮らしぶりがあるし、それはきっとある意味「生き方」が固定されてると思うんだ。
特に桐生さんみたいな堅物は立ち回りがうまくない分生きてくだけで精っぱいだしね。
そんな桐生さんの人生観を変えたのが今回の事件で、人殺しの汚名を着せられそうになったり人を殺す一歩手前まで行ったり、自分が命狙われるようになったり、ギリギリの状態だったじゃない?だから桐生さんは必死になった。生きるために。
龍0の中で起こった大きな事件は「カラの一坪をめぐって大戦争」なんだけど、桐生さんからしたら一貫して「無実を証明する」と「風間のおやっさんの足を引っ張らない」なんだよ。カラの一坪はそのための手段なんだよね。
でも、その手段をめぐって争いに巻き込まれて、死ぬか生きるか。
今までの人生ではありえなかった密度の濃い数日を過ごして、桐生さんはその数日の間に「必死になってる人たち」と何人も会って来た。
桐生さんって割と考えが甘いんだよね。そして、おやっさんリスペクトだけど多分おやっさんという後ろ盾にも期待してる所があるような気がするんだ。おやっさんがいれば自分は何とかなる、みたいな。
だからおやっさんを目指してたんだろうし、リスペクトしてたんだろうなと思う。
けど、龍0の事件が進むうちにおやっさんを慕う・嫌う人に会って、おやっさんのやり方がわかってきて、事件の渦中にいるうちに自分ができること、自分がやらないといけない事が見えてきたんだと思う。
反面、今回の事件で自分が周りにすごく助けられていろんな人が命をかけてくれたわけじゃない?錦なんてほんとその典型で、彼がいなかったら桐生さんは精神的にも折れてたかもしれない。
そんな風に「自分と他人のかかわり」を経験した桐生さんは、自分がどうやって生かされているか、その恩返しというのは変だけど、周りに対して自分はどう生きていけばいいのかってのに目が覚めたんだと思う。
本編とは別にたくさんのサブストがあって、その中で桐生さんはいろんな人を助けたり、いろんな人の人生観を変えたりしてきてる。
大吾とかにしてもそう。あのサブストがあって、今の大吾がいるわけじゃん?
龍1に出てくるシンジもそう。この件があっての龍1のシンジじゃん?
他にもいろんな人がいていろんな人を助けてたし、たくさんの人と出会った。
そんな中で、自分がどう生きて、どう他人とかかわっていくかが見えたんだと思う。おせっかいで不器用なりに相手の為にがんばろうっていう桐生さんの性格はこの時に培われたんじゃないかな?
だから「おやっさんを目指すんじゃなくて、自分の生き方を目指す」みたいになったんじゃないかな。
底辺で生きてるだけのぬるま湯から脱して、そぎ落とされて、鍛えられて、龍になっていったんじゃないかなって思いました。
で、極道に戻ったのは結局そこでしか生きる方法を知らないってのと、「おやっさんと同じ場所でおやっさんと違う物を目指す」ってのがやりたかったのかな?と。



それゆえに桐生さんは「もう一度始めよう」と思ったのかもしれない。
ある意味、生まれ変わったんだよ。
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言っとくけど 渋澤も風間もやった事は同じだからな
by お名前(必須) (2017-03-14 23:50) 

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